私は山が好きで、当時はやりだった「日本百名山」の完登を目指したこともあった。しかし、数えてみると登ったのは30座そこそこで、残念ながら百名山にはほど遠い。これからもう百名山に登ることはあるまいので、これ以上百名山の登頂が増えることはないだろう。残念だが致し方ない。歳はとりたくないものだ。
命名者の深田久弥の「日本百名山」は愛読し、今も大切に持っている。初版が昭和39年で、私は42年の第二版を持っている。山岳雑誌「山と高原」に連載されていたものを一冊の本にまとめたものだという。深田久弥の最も思い入れがある山は故郷の大聖寺から登った白山であろう。私が選ぶとしたら、「奥穂高岳」であり、この山には5,6度は登頂している。さらにその山群である「北穂高岳」、「前穂高岳」も好きな山々である。「剣岳」には一回しか登頂していない。
中央アルプスの「木曽駒が岳」には何回登ったことだろう。名古屋に住んでいたので、朝思い立って、中央西線の鈍行で上松まで行き、バスで2合目まで行けば、その夕方には頂上に立つことが出来た。そういえば、「御嶽海」という力士は上松町出身だが、しこ名は「御嶽海」で「御嶽山」ではない。「海」は所属する出羽の海部屋に由来するのであろうが、なんだかおかしい四股名ではある。
NHKBSで「田中陽希」の「一筆書き百名山」をやっていた。これは屋久島の「宮之浦岳」から利尻島の「利尻岳」まですべて自力で走破して、登頂するというもので、屋久島から鹿児島へ、津軽海峡横断、さらに利尻島へは自分でカヤックを漕いで渡っていた。途中黒部の「平の渡し」で監視員にカヤックを禁止され、官営の船で渡ることになった。監視付きでもいいから自力で渡ることを認めればいいのにと思った。この企画は壮大なもので総移動距離が1万キロ近くある。
百名山は日本各地に点在しているので、「百名山完登」はなかなか大変である。エピジェネティクスが専門の佐々木裕之先生(九大)は、やっと50座を完登したという。今西錦司先生は「日本千五百座」を完登されたそうだが、最後は、若い人たちに担ぎ上げられる様にして登ったらしい。それでも山頂でのビールは欠かされなかったようだ。壮大な今西学は登山と探検によって成り立っている。
残雪の鹿島槍岳耳二つ 徹 (06/12/20)