奈良は名古屋からは近いが、小学校の修学旅行の「京・奈良」以来訪れたことがなかった。しかし妻の実家の広瀬家は、奈良市の少し南の「田原本町」の出身であり、義父の納骨で初めて訪れることになった。この時は京都駅八条口から近鉄橿原神宮線で直接行った。それ以来、法事などでたびたび通っている。
お墓のある「本誓寺」は「田原本藩」の代々の藩主の墓所である。広瀬家はその家老の家柄であったという。「田原本藩」は明治維新まではずっと「五千石」に過ぎなかったが、どういう訳か、明治維新後に「一万石」に加増されたという。初代藩主の平野長泰は、「賤ケ岳七本槍」の武将の一人であったが、加藤清正、福島正則、堀尾吉晴らが皆、大大名に出世しているのに不思議な存在ではある。
平野長泰は秀吉の子飼いであり、尾張の津島の出身で、当地に津島神社を勧請している。いまでも当地では「津島祭」が行われているという。平野長泰は,先年の大河ドラマの「真田幸村」にも数回登場し、秀吉か家康のどちらににつくか、優柔不断の男として描かれ、秀吉側である幸村には再三米などを送っている。
この近辺には「唐子・鍵遺跡」が残されており、かっては日本の歴史の中心舞台であったことがうかがわれる。この近くの西大寺駅近くには大極殿も再建されている。近鉄奈良線は、昔の平城京を分断していることになる。いずれ周囲の建築物とともに、平城京が再現される時には、地下に潜るしかないだろう。
「奈良」を書き始めたが、私はまだ奈良の主要な寺にはあまり行ってはいないので、これらの寺のことを書く自信はまだない。折角奈良にご縁をいただいたので、これから折に触れて五木寛之のように、ゆっくりと古寺巡礼をしたいと思う。
私が感心するのは、毎年行われる「正倉院展」で、奈良でも東京でも見たことがある。いつかの年のテーマは「革製品」であったが、馬具を始め、さまざまな革製品が展示してあった。月並みだが、「シルクロード」の終着点が奈良の正倉院であり、ギリシャ、ローマ、イスラム、唐などの文化が融合したものが、ここに収納されている。シルクロードは残念ながら遂に訪れることは出来なかった。
東指す駱駝の群や霾(つちふ)れり 徹 (06/19/20)