• 2024年12月22日 1:15 AM

環境エピジェネティクス 研究所

Laboratory of Environmental Epigenetics

第17回「日本環境変異原学会」

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 今年も日本環境変異原学会(JEMS)の演題募集が始まった。今年の学会は沼津で予定されているが、このコロナ禍でNetも使って開催されるということです。私はここ10年近く発表していないが、今回は是非発表しようと思っている。もう研究はしていないので、「エピジェネティク継世代遺伝(ETI)」の文献を渉猟して、それに考察を加えたものである。ETIをJEMS内に浸透させたいものだ。

 私がこの学会(当時は研究会)に入ったのは、第2回大会からで、大会は秋の土曜日の午後に、三島の国立遺伝学研究所の講堂で行われた。演題は20題もなかったと記憶している。初めて発表したのは。東大医科研の講堂での第5回大会からで、それから幸いにも、25年以上毎年連続して発表することができた。

 第8回大会は岩原先生が主宰され、箱根湯本の「箱根観光会館」で開催した。私は事務局としてその手伝いをした。前夜の小田原駅前での評議員会で、杉村 隆先生(当時国立がんセンター研究所長)が、「文化勲章の一部で学会奨励賞を創設したい。ついては第1回はNさんにあげたい」と発言され、誰も異を唱えることは出来なかった。慌てて手書きの賞状を準備した。この時からポスター発表が始まり、発案者の賀田先生はじめ5題が3日間展示された。また、会場には温泉施設があり、日中も利用出来たので、学会の最中に入浴した猛者も数人いた。

 この後、「奨励賞」は学会の重鎮たちが順番に受賞するという妙な風習が出来てしまった。いわゆる長老以外の先生方のほとんどが受賞されている。その後、「学会賞」が創設されると、その先生方は、また順にこれを受賞された。その後、「学会賞」は、学会の会長経験者が順にいただくことになったことには、いささか腑に落ちない。杉村先生の「奨励賞」の意図はどこにあったのだろうか?

私はこの「奨励賞」を頂き損ねた経緯がある。ある年の選考委員会で、私は推薦された。受賞は評議員会で決定されるが、まずこの決定が覆されることはなかった。出席していた評議員会の私の目前で土川先生が発言され、私の単独での受賞に反対の弁を述べられた。室田君と共同受賞にするべきだと言うのである。私もそのとおりだと思った。それ以後、私には「奨励賞」の声はかからなかった。
    夜を徹すスライド作り秋名月   徹     (07/31/20)