私の住んでいる湯河原町の東隣が真鶴町で、人口1万余りの漁業・採石業を中心とした小さな町である。しかし、夏の「船まつり」は日本三大舟祭りの一つになっているほど有名である。最近、散歩の足を延ばしてこの町を歩くことが多くなったが、いろいろと面白いところが多い。また、この町の情報センターの一室を借りして、もう10年近く、月1回の勉強会をしてきた場所でもある。
町の道のほとんどは上りか下りであり、平らな道はほとんどない。その間に「背戸道」という車の通れない、日常の生活に使われている細い道がたくさんはりめぐらされている。「背戸道」は長くつながっており、意外な場所に抜けることが出来る。これを発見するのも「真鶴」散歩の大きな醍醐味である。
この町は「東洋のリベエラ」とも呼ばれていた。高台から港を見下ろした光景など、たしかに一幅の絵である。これを絵に描いている人も多く、私も何回かスケッチをした。また、この景色を好んで、ここに住んでいる画家も結構いるらしい。また、この町に永住した「中川一政」の美術館も岬にある。一政はよくスケッチをした「福浦(湯河原町)」の突堤を「世界一広いアトリエ」と称した。
町の自慢は「魚つき林」で、江戸時代から半島にうっそうとした林が植林され、今でもよく保存されている。この林のお陰で、養分に富んだ水が海に流れ出し、プランクトンに富んだ海となる。真鶴の海は魚が豊富であると言われている。
源頼朝は平家との石橋山の戦いで敗れ、真鶴からたった7騎で安房に逃れた。その時、頼朝らを世話した村人3人に姓を与えたという。青木、五味、御守である。しかし真鶴では青木姓がずば抜けて多い(約10%)ことは、遺伝学では説明できない。選挙で、青木某という同姓同名が二人立候補したこともあった。結局、案分比例で当選者が決まったが、当落は1票差以下で決まったという。
真鶴の山の部分では、採石が盛んで、質のいい「本小松石」が採石されている。これらは大型ダンプカーで運ばれ、港から大きな船で積み出されている。江戸城の石垣もここの石で造営されたという。魚と石との取り合わせは何だか妙だ。
廃業の採石場に昼ちちろ 徹 (05/22/20)