先日東北地方を旅行した。まず仙台に着き、すぐに仙石線で松島海岸まで行った。ここへ来たのは、あの大震災以後2度目だが、その痕跡はほとんど残っていなかった。大震災直後に来た時は、仙石線は津波によって分断され、途中バスに乗り継いだことを記憶している。沿線の家々は津波で流され、土台だけが残っている家が多かった。終点の石巻でもさすがに水は引いていたが、そのつめ跡がクッキリと残っていた。私はこの惨状を見て、津波の恐ろしさを改めて実感した。
今回、初めて松島めぐりの遊覧船に乗った。案内放送では、あの大津波から松島の島々が、松島沿岸や瑞巌寺を守った。この様なことは歴史的も何度も繰り返されてきという。またいくつかの島の名物だった岩も津波によって、形が大きく変わってしまったということだ。一部が海に沈んでしまった島もあったそうだ。
今回はコロナ禍によって、観光客はほとんどいなくて、開いている土産物屋や食堂も少なく閑散とした印象であった。大震災は天災であるが、コロナは人間の環境破壊によってもたらされた人災だと思う。人間は経済を優先して、環境を破壊しつづけたことで、これまで潜伏していたウィルスが顕在化したものだろう。
こんなことを書いているうちに、熊本の球磨川の氾濫というニュースが 入ってきた。熊本では4年前の大地震、一昨年の水害などこのところ大惨事が続いており、誠に気の毒なことである。今回の水害は記録的な集中豪雨によるものだが、このような猛烈な雨はこれまでは日本にはなかった。やはりこれは世界的な炭酸ガス増加による温暖化(熱帯化)が原因の異常気象によるものだろう。
山折哲夫先生は日本人の無常観は、度重なる災害(水害・地震・火山活動)や疫病に遭遇した経験がその根底にあるという。中止になった祇園祭も疫病退散の祈祷であったということだ。日本列島には4つの大陸プレートが集合した日本では地震は避けることが出来ないと思うが、せめてより早い予期が出来ないものか。いつ攻めて来るかの知れない国に対する防衛だけではなく、もっと身近な国土防衛が先決であろう。莫大なエネルギーを使うリニア―カーなどは、人口減少や今回のテレワークの普及もあるので、もうその必要がないように思う。
松島は二百余島や五月雨 徹 (07/11/20)