• 2024年12月21日 9:32 PM

環境エピジェネティクス 研究所

Laboratory of Environmental Epigenetics

第44回 「N. K. 先生」

 恩師のことを書くのに、略称で書くとは妙な話だが、そうせざるを得ない理由がある。この先生は大学時代隣の研究室の助教授で、その後ある大学の教授になられた。当時就職に困っていた私に「食品薬品安全センター」を紹介していただいた恩人でもある。長身で痩せて見るからに胃腸が悪そうな感じの先生だった。

 ある時ネット検索をしていたら、偶然にこの先生のお名前に出くわした。戦争中は獣医大尉で、どうやら朝鮮の釜山で、家畜の病原体を米国への戦争に使用する研究計画に参加しておられたことはほぼ間違いないことと思われた。

 この先生と親しくなったのは、先生が急にアメリカに出張することになり、先生が実験を開始されたばかりのニワトリの世話を頼まれたからであった。帰国後、そのお礼に先生のお宅に呼ばれ、夕食をごちそうになった。先生には品のいい奥様と4人の娘さんがおられ、全員と顔を合わせることになった。先生はお酒のせいからか「どれでもいいから娘を持って行ってくれ」と冗談を言われた。

もう一度ネットで閲覧すると2,3の記録が残されており、また先生ご自身が戦後に書かかれた本もあるようだ。機会があればこのことを確認したいものだと思っている。しかし、どうしても私の頭の中では、あの温厚な先生と戦時中の軍事研究とがどうしても結びつかないのである。

菅内閣は、去年日本学術会議から推薦された会員候補者のうち、6名だけを任命しなかった。この背景には、これらの人たちがこれまでに政府の政治姿勢を批判してきたことがあったことは間違いないだろう。これは憲法で保障された「学問・思想」の自由への大きな侵害であると考えられる。菅内閣のこの決断はまた、学術会議が以前、軍事研究に反対の決議をしたことにあるものと思われる。

N.K.先生がどういうご心境で軍事研究に参加されたのかは、先生はもう亡くなっているので、直接にお尋ねするすべはもうない。当時の情勢では軍事研究に参加を求められたら、それを断ることは出来なかっただろう。私はそんな時代が再び来ないよう、政府が学術会議の人事まで介入することには断固反対である。
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