私の食品薬品安全センターでの主要な業績である「マウス始原生殖細胞のエチルニトロソ尿素(ENU)による突然変異の誘発)は、この博士課程での「発生遺伝学」の研究から大きな影響を受けているものと思います。「始原生殖細胞(PGC)」とは脊椎動物で生殖細胞(卵子および精子)の根源となる細胞で、すでに胎生期に他の体細胞とは分岐して発生・分化してきます。
「マウス始原生殖細胞の突然変異の誘発」は、マウス変異遺伝学での長年の重要な研究テーマの一つであり、すでに、M.F. Lyon(英国Medical Research Council; MRC・X染色体の不活性化Lyonizationの提唱者)や特定座位試験を考案したA.G. Searle(MRC)などが放射線を用いて挑戦しましたが、おそらく放射線では、「DNA損傷」が広範囲にわたるため、F1以降の世代が得られにくく、これまで明確な陽性結果が得られなかったという経緯を論文作成の段階で知りました。どうも私は研究課題に取り組む場合に、十分にその分野の論文を読まないという悪い癖があるようです。
私は日本環境変異原学会 (JEMS)に入会以来、会員のほとんどは、「化学物質の変異原性と発がん性」との関連性に興味を持っていましたが、私は大学院時代に遺伝研で研究生をしていた経緯もあり、また当時遺伝研・形質遺伝部長(後に所長)の田島彌太郎先生からもご教示をいただき、また前述の賀田恒夫変異遺伝部長のおすすめもあり、学会ではまったく少数派であった「哺乳類の生殖細胞の突然変異」の問題を研究テーマとして選びました(5,6)。
現在、JEMS学会内に生殖細胞について試験・研究している学会員がほとんどおられないことはさみしいことです。当時センターの遺伝学研究室には、田中憲穂さん(現研究顧問)と加藤基恵さん(現チリ・サンチャゴ大学教授)の染色体研究グループと私と室田哲郎さんの遺伝子研究グループとがあり、切磋琢磨して研究に励んでおり、染色体グループもマウスの受精直後のアルキル化剤による、染色体異常と発生異常との関係について、世界的な業績を挙げていました。今にして思えば補助員を含めたたった6人の人員で世界的なレベルの研究成果を上げていたことになります。余談ですが、東京での第3回国際変異原会議(ICEM)で、Mutation Research誌の創立者のF.Sobel教授が、前日田中さんたちが発表した内容を、多くの発表者が引用したので、いきなり立ち上がり”Tanaka, Who”の叫んだのを目の当たりにしました。
関連文献
5.澁谷 徹:化学物質の遺伝毒性、化学品安全、6: 39-47, 1988
6.澁谷 徹:変異原性と遺伝毒性、続医薬品の開発、「第11 巻, 医薬品の変異原性・遺伝毒性」, 広川書店 東京 pp365-377、1991