先日、NHKテレビで「太陽の子」というドラマを見た。戦時中の京都帝国大学物理学教室で、陸軍の命を受けて「原子爆弾」を作ることになった。しかし、完成する前に、アメリカが先に原爆を広島に落とし、敗戦後その被害調査に行くという話であった。近藤宗平先生のことを思い出したのは、かって先生がこの広島に調査に参加されたということをお聞きしたからだ。「爆死者」の土まんじゅうに腰かけて昼食をとっていたら、友人にたしなめられたという話だった。
先生にお会いするのは、「日本環境変異原学会」の時ぐらいであり、ゆっくりとお話をさせていただいた記憶はほとんどない。大阪の学会の時、先生と菊池さんと3人で大阪鶴橋の「焼肉屋」で食事をいただいたことがある。この家はしもた屋風の家で、畳の部屋に七輪に炭を熾し、脂がかからないように、配られた新聞紙に各自で穴を開け、それをかぶって食べたことを覚えている。肉はとても美味しかったが、先生とのこの「焼肉屋」の光景はいささかミスマッチであった。
大阪大学の平野前総長の退官講演をネットで視ていたら、医学部生時代の話で、近藤先生の講義だけが理路整然としていて、大変面白かったというお話をされていた。近藤先生にどの分野に進めばいいのかと尋ねたら「免疫学」と即座に言われたという。物理学出身の近藤先生の著書「放射線基礎生物学」を読んでも、その理論の組み立ては素晴らしく、一寸の揺るぎもない。もっとも数式が出てくるとお手上げでそこから前に進めなくて、何時も挫折していたものだった。
先生と最後にお会いしたのは、門弟の藤川和男さんがマウスを使った実験を開始するというので、私に弟子入り(?)をしたときであった。近畿大学近くの料理屋で、「藤川をよろしく」と頭を下げられて、恐縮したことだけは覚えている。その後、私は藤川さんと痛飲して、前後不覚になるという醜態を演じた。
先生の「誤りがち修復」という理論は、明解でさすがに物理学者の思考だと思われる。また、「ホルミシス効果」も先生から学会で教わった。先生がご存命中に、「エピジェネティクス」という生命現象をお知りになったらどのように考えられただろうか。先生は是非お聞きしいのだが、もう伺うことは出来まい。
広島に六つの大河原爆忌 徹 (09/18/20)